金融資本主義と言語
実体経済/擬制資本の区分は間違い
そして労働社会もまたこの金融の言語によって特徴づけられる。
新たな価値生産過程に釣り合った資本の蓄積形態そのもの
金融が言語的であることの例:
確率統計的な表現、ブラック=ショールズの公式などの数式的予測性、金融機関の饒舌な商品説明、FRBや中央銀行総裁の発言、エコノミストやマスメディアの解説言語、投資家たちの言動、物価や財政にまつわって乱れ飛ぶ言葉、企業人が日常的に交わしている言葉、以上に対する一般の生活言語の反応 その本質は「明日の生活」に根差した「遅延された給与」であるということにある。しかしながら、昨今の多くの年金基金が株式投資市場に回っているということは、生活者の「生」がダイレクトに資本のリスクと強力に結びついてしまったということでもある。「明日の生活」を資本の取引や金融言語に委ねたということである。
公的年金だけじゃ飽き足らず、私的年金制度もIdecoや401kに代替されつつある(というかそれまで私的年金制度って生命保険とかを除いて使われてたのだろうか?)