感情的なドラマ

自分じゃない自分が生きているって不思議な感覚です。多分、他人から見たら何も変わらないんでしょうが、自分じゃない自分には何よりも平和があります。自分も自分以外も遠くから見ている感じです。前のオリジナルが引きずっていたものが今の私にはありません。オリジナルの持っているものを使っているだけです。オリジナルがいない今、あなたの意見は間違っていると言われてもいいし、だいたい、人に間違っているだの批判をする、感情的なドラマが好きなだけだと私は思います。

かつて、誰かに口座からお金を盗まれたれたことがあり、それをした相手を許せないし、そんな目に合った自分も許せなかったことがありましたが、今はお金を盗まれる、盗むも同じというか、そうされる、するカルマだったと思います。そこには感情的爆発がありました。お金を盗まれることで私はどうするの?だし、盗んだ方も同じだと思います。ただの経験として手放す、とどまらない、流れていく、そのために人生はあるんだと今オリジナルじゃない私はそう思いますし、すべての出会いに感謝しています。そして、その感情的爆発がオリジナルは好きだった。

される、する、どれも手放す、なんて簡単でばかばかしいことだったんだろうという感じです。オリジナルの自分じゃないから離れて見るとよくわかります。オリジナルじゃないから自分に責任がないというか。だから、もっとそこにある真実は何かに気づきやすいんですね。前のオリジナルを他人としてあの人はって言える感じです。

どんなことであれされる、する、何でこんなことをするかって、感情的ドラマになるからです。手放すためのレッスンをお互いに与え合うということです。レーネンさんのところに来ていた宇宙人たちは感情的に何もしていませんでした。平和であるか、ただやるべきことをやるか、そういう存在たちでした。感情的であるから人間だけど、感情的であるからまた厄介で。

オリジナルの私は感情的なドラマが好きだった。正しい間違い、正義と不正義、白と黒、光と闇、そうやって自分を鼓舞し、それをエネルギーにして頑張って進んできました。感情的なドラマは上昇する、得る、思い通りに実現するためのエネルギーになりましたね。でも、いつも焦燥感、恐怖、不安、心配でした。感情的なドラマにはもう飽きたし、ばかばかしい。感情的なドラマがあるからこそ、地球は地球らしいんでしょうが、この感情的ドラマなんて必要ないってことを経験するために面倒な転生を繰り返すんじゃないかっていう私の結論です。

誰かの死、成就しない恋、虐げられる関係、自信がなくダメな自分、二重生活、いじめ、信念が異なるものとの戦い、逆境、すべてばかばかしい感情的なドラマをするための制限と定義でしかなく、感情的なドラマのために死んでくれる?ふってくれる?私ってだめですよね?いじめてくれる?支配してくれる?戦ってくれる?と参加者を求めているんだろうなって。だからあらゆる制限と定義を自分にかけるのだと思います。制限と定義をかけて得られる感情的ドラマが好きなんです。嫌なら止めるし、これをずっと人類は何度も何度も繰り返していて、今回ばっかりはちょっと事情が違うというか、もう地球がダメかもって、そういう話だと思います。ばかばかしい感情的なドラマが度を越え過ぎ、地球をダメにするだけではなく、レーネンさんが生前、言っていましたが、地球も人類にされるがままを許してきて人類、地球がこれからどうするかという今なんじゃないかと。

平和である、私以外のところで起きているあらゆることに私は一喜一憂もしないし、ただもたらされるものの中で生きる、自分で何とかしようとしていたのとは真逆の人生を生きている今、こっちの方が楽だし、死ぬまで真逆の生き方を与えられた感じです。何があってもなくても受け入れますし、すべてに感謝です。焦り、恐怖、心配でいじる、何かを実現しようとする、これも感情的なドラマを創造するだけです。

ロンさんが30日に平和をテーマにイベントをします。オリジナルじゃない私もこれは役立つと思います。ロンさんが書く重要な過去世もこの制限と定義の元を知るチャンスになります。感情的ドラマを求める元を知ることも可能です。みゆきさんレベルのサイキックは世界的にもいないでしょう。サイキックというくくりさえもう言葉が古いというか。真実の自分を伝えてくれます。こんな特別な経験を私ができるのも、みゆきさんの存在なくしては、実現しても私は路頭に迷ったでしょう。転生の繰り返しからもういいわって、感情的なドラマを手放していくことに役立つと思います。天翔さんにいただいたアドバイスもこの新しい第二の人生のスタートに慣れるきっかけになりました。感情的なドラマをずっとやっていきたい方は、それを思い切りやり飽きるしかないですね。こんなに簡単に楽になれる、論理的にどう話していいかもわからないし、話してみたいなという気もするんですが、多くの方は感情的なドラマの方が安全、安定だと思っているから話しても無駄かなという気もします。制限と定義で今の現実を実現できるパワーがあるなら、制限と定義を外して全く違うものを実現するパワーもあるはずで自信がない、できないなんて私には信じられないのです。

伊藤仁彦